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なぜ自分の追悼文を書くべきか?

執筆者の写真: Drew ChoDrew Cho

お葬式に行くと故人の追悼文が読まれる。 追悼文には、故人がどこで生まれ育ち、社会的にこんな貢献をして来たのかを称える内容が多い。 私自身も多くのお葬式に参加して来たが、一番記憶に残る追悼文はその故人がどれだけ人々を犠牲的に愛し仕えたのかにある。 あなたは、あなたの葬儀で追悼文が読まれるなら、それがどんな内容であって欲しいのか? 正直、人々は私がどんな家に住んだのか、どんな車を運転していたのかより私たちの情熱はどこにあり、どのようにこの世に仕えて来たかに関心があると思う。

一か月前に、私のコーチングクライアント(30代男性)は自分で書いた自分の追悼文を分かち合ってくれた。 40代の私もまだ自分の追悼文を書いたことがないのに、私より年下のクライアントが書いた内容を読みながら感心した。 そこに書かれていた内容は、‘私が死んだ後、私は人々にこのように記憶されたい’と言う内容が詰まっていた。 “この男性は自分の富や名誉を築くためではなく、人々の人生を再建させるのに情熱を注いだ人です”と言う響きは彼が今後この世に残したいレガシーをしっかりと捉えていた。 私が死んだ後、歴史は、人々は私をどう記憶するだろうか? ‘最後までわがままな人だった’、‘最後までケチ臭い母だった’、それとも、‘自分を顧みるより、他人を愛した人’と言う風に覚えられたいだろうか。 42歳になろうとする私も今死ぬと良い評判の人として記憶されるかいろいろ考え込んでしまう。


追悼文を書くと言うのはこれから私が生きるべき人生をより明確にしてくれる。 私が目指す人生ゴールは物質的なものを蓄えることなのか、それとも、人々に良い影響力を及ぼしこの世をもっと多くの人が笑顔で暮らせる世界にしていくことなのか。 追悼文は今私が私らしく、また私の価値観に相応しく生きているのかを見分けさせる。 そして、今、また今後取り組むべきことを思い起こさせる。 来世を信じているかいないかは別として、私たちは皆残った人々に誇りを残してこの世を去りたいと思う。 追悼文を書くのは30代でも遅くないと思う。 逆に、これを真剣に書くことで人は自分が目指すべき本当の目標が見えて来るであろう。 

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